↓浅草寺本尊示現会(あさくさかんのんじげんえ)
↓金龍の舞(きんりゅうのまい)
↓彼岸会(ひがんえ)
↓宮神輿本堂奉安「堂上げ」(2010年は行いません)
↓宮神輿本堂奉安「堂下げ」(2010年は行いません)


推古天皇36年(西暦628年)3月18日浅草浦付近(隅田下流の宮戸川)で漁をしていた漁師、檜前浜成(ひのくまはまなり)・竹成(たけなり)兄弟の網に一体の小さな仏像を発見しました。それを土師中知(はじのなかとも)が拝し、聖観世音菩薩の尊像であることを知り、槐(えんじゅ)の木の切り株の上に安置した後、中知は自ら出家をして屋敷を寺に改めて深く帰依したと云われております。その聖観世音菩薩がご示現された浅草寺草創の聖日を慶祝し執り行われます。土師中知・檜前浜成・竹成は浅草神社の宮神輿一之宮・二之宮・三之宮として祀られております。境内では「金龍の舞」が午前11時・午後2時・3時の三回、ご示現を慶祝して奉演されます。
浅草寺本尊示現会「慶讃 三社大権現本堂堂籠之儀」
日時:
平成22年
3月17日(水)午後6時~午後7時30分
3月18日(木)午後4時~午後5時30分
場所:
浅草寺境内 浅草神社境内
主催:
浅草観光連盟・浅草観音奉賛会・浅草神社奉賛会
後援:
浅草寺 浅草神社
本年は浅草寺本堂工事のため神輿三基の堂上げ・堂下げはおこないません。 浅草神社神霊は唐櫃に収め神官を中心とした行列によって本堂へお移しいたします。
3月18日(木)午前4時15分ごろより30分程度、浅草寺本堂正面階段と回廊に入ることはできません。
3月18日

浅草寺の山号を金龍山と言ういわれは縁起に「十八日寺辺に一夜にして松千株ほど生ず、三日を過ぎて天より長さ百尺ばかりの金鱗の龍、松のなかにくだりしが、その後あるところをみず、これによって金龍山と言う」とあるところから出ています。金龍の舞も、この由来によるもので、昭和33年10月昭和本堂が落慶した際、浅草観音慶賛会が後生に永く伝える記念行事として創始奉納したものです。長さ5m、重さ80kgの金龍は、観音様の姿に喜び、勇ましい華麗な舞は、宗教的意義が高いといわれている。
金龍の舞の奉演は3月18日のご本尊示現会と10月18日の菊供養の佳日に行われています。
金龍の舞は故久保田万太郎先生の指導の下に演出吉川義雄、作曲町田嘉章、舞の振付藤間友章の諸先生が担当され、地元の各町青年部有志70余名が斎戒、精魂を傾けて奉演します。既に著名な行事となっています。
3月20日 午前10時 本堂にて
仏教では彼岸は「波羅蜜多」という言葉に由来し、菩提心を起こして悟りの世界に至るという意味である。気候もよく太陽が真西に沈むこの時期を修行にあて、民衆では太陽を崇拝し、その恵みに感謝し五穀豊穣を願う祈りから、先祖を供養し墓参の風習も生まれた。浅草寺五重塔に霊拝を安置しているご信徒に拝殿を開放し自由に参拝していただいている。

18日の浅草寺本尊示現會の行事として古式に則り浅草神社の宮神輿を浅草寺本堂にお上げし、一夜奉安致します。現在では3月の最終土曜日・日曜日にかけて執り行われます。当日の夕刻、浅草神社神官により祭儀が執り行われ本社神輿三基を氏子衆(うじこしゅう)により松明(たいまつ)で照らされた浅草寺本堂外陣へ「堂上げ」致します、この際重さ1トン以上も有る一之宮・二之宮・三之宮が本堂階段を昇る様は荘厳かつ優美で、見るものを圧倒するものであります。同時に仲見世参道には「慈光の道」(じこうのみち)参道に一直線の蝋燭が灯り宮神輿の一夜奉安を慶祝します。

本堂外陣に納められた一之宮(土師中知)二之宮(檜前浜成)三之宮(檜前竹成)のご神体は浅草寺一山の読経の後、ご本尊の御前で一晩お宿まりし、翌日午前、宮司祝詞奏上後、神輿を本堂より「堂下げ」して浅草寺境内に安置されます。夕刻宮神輿三体は氏子衆の手で浅草神社に還御致します。浅草寺僧侶らによる読経と浅草神社宮司祝詞奏上を同時に行うこの行事は神仏分離以前の観音祭とも呼ばれていた三社祭を一部再現し、5月の三社例大祭のプロローグでもあります。