年間カレンダー

五月(皐月/さつき)の行事

↓宝の舞(たからのまい)
↓三社祭(さんじゃまつり)
↓びんざさら舞-東京都無形文化財
↓弥生祭消防殉職者慰霊祭
↓お富士様の植木市

宝の舞(たからのまい)

5日

福徳をあらわす七福神を乗せた船として古来人気のあったのが宝船でありますが、この宝船を多勢の幼児によって引き、観音様の福徳の御働きをたたえたのが、宝の舞であります。昭和47年から始められ、現在浅草寺幼稚園児によって舞われております。

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三社祭(さんじゃまつり)

三社祭

2016年の三社祭開催日程は5月13日(金)から15日(日)の三日間となります。
例年の開催期間(5月の第3金〜日)ではありませんので、ご注意ください。

三社とは浅草神社の旧名の三社権現と称されていた所から出た名で、浅草寺観音像を浅草浦(宮戸川)から拾い上げた漁師、檜前浜成(ひのくまはまなり)・竹成(たけなり)と土地の識者、土師中知(はじのなかとも)の三人を祀る所から世に三社権現と称されていました。三社祭は古昔は毎年3月17・18日が大祭でしたが、神仏分離以後の明治5年から5月17・18日に改められ、更に近年は5月の第3日曜日とその前金曜・土曜日に行われるようになりました。また三社祭には古式神事の拍板舞(びんざさらまい)が行われますが、中世の田楽舞の伝統を受け継ぐ古楽舞で、東京都の無形文化財に指定されています。
三社祭は神輿渡御が有名であり、浅草神社の氏子町会四十四ケ町の神輿勢揃いが土曜日午後1時に浅草寺境内にて行われ、浅草が祭り一色に染まります。神社神輿の渡御(本社神輿三体一之宮・二之宮・三之宮)は日曜日午前6時浅草神社境内より担ぎ出され、それぞれ三方面に別れ氏子各町会を練り歩きます。本社神輿の渡御は大変キケンですので見学には十分お気をつけください

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びんざさら舞-東京都無形文化財

三社祭第一日目

びんざさら舞-東京都無形文化財
びんざさら舞-東京都無形文化財
びんざさら舞-東京都無形文化財
びんざさら舞-東京都無形文化財
びんざさら舞-東京都無形文化財

推古天皇御代36年(628年)3月18日浅草浦付近(宮戸川)で漁をしていた漁師檜前浜成(ひのくまはまなり)・竹成(たけなり)の兄弟の網に一体の小さな観音像がかかりました。その観音像を現在の駒形橋付近からあがられた観音像をとりあえず槐の木の切り株の上に安置しました。そのおり草庵<藜堂>(あかざどう)を作った十人の千束田圃の百姓衆が草庵の完成を祝って踊ったのが「びんざさら」の始まりと言われております。
「神事」びんざさら舞とは五穀豊穣を祈願して奉納する舞で、この舞は百姓の田楽舞としては大変上品で優雅な舞であり装束にも特徴があって、白と臙脂に染め分けられた縒糸を周りに深々と垂らし顔を覆い隠す「綾蘭笠」を冠り袴や金襴の衣装を纏います。この衣装を付けているときは身分を従四位の下に遇されていたとも伝えられます。三社祭奉納の「びんざさら舞」は五穀豊穣・悪霊退散を願って田楽舞(ささら舞)と子孫繁栄や害虫・悪疫消除祈願の獅子舞が舞われ、二つの舞が備わっている形は全国でも珍しいものとされています。
写真提供:神事びんざさら会

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弥生祭消防殉職者慰霊祭

25日

弥生祭消防殉職者慰霊祭

浅草観音の本堂裏にある消防殉難者表彰碑は、宮内省から200円の下賜金をもらった警視庁消防職員が大正元年1916年に建立したもので、碑の裏には幕末の町火消しや警視庁消防隊員など、計120人の殉職した消防関係者の名が連なり、その功績が顕彰されている。この日「弥生祭」といって江戸消防記念会の揃いの半纏に纏を振って殉職者の慰霊祭が行われる。

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お富士様の植木市

5月、6月の最終土・日曜日

植木市とは台東区浅草5-3-3(浅草警察署斜め前)にある浅間神社(俗にお富士様)の祭日の別称で植木市が開かれる処から呼ばれるようになりました。浅間神社はその昔浅草寺の支院の修善院(今の富士小学校の処)が別当で管理しておりましたが、明治の中頃廃絶し、現在では浅草神社の宮司が管理しております。祭神は木花咲耶姫(このはなさくやひめ)で、元禄のころ駿河国富士郡浅間神社から勧請したものと云われますが、つまびらかではありません。
この社の位置は富士山から裏鬼門にあたり、この小高い丘の上にあるので、富士山がよく見えたと云われております。昔から富士山に対する信仰は盛んで、全国各地に浅間神社の勧請や富士講の組織作りが行われ、富士山の山開き6月1日には、富士詣りが出来ない人々が各地の浅間神社に参詣したと云われます。従って当初は垢離(こり=神仏に祈願するとき心身を清めるために水を浴びる)をとって身を浄め、白衣のかたびらを着て、夜明けからお詣りしたようで、元禄以後は特に子供の参拝が多くなり、垢離をとった形式にかたどり、散らし髪で参拝したと云われております。
昔の祭日は5月晦日と6月朔日(ついたち)で明治以降は富士山の山開きが7月1日になったので、6月晦日と7月朔日にも行われるようになりました。合計4日間の珍しい祭日となっております。表参道の富士通りには色々と物売りが出、明治以降は六郷家の下屋敷跡を中心に植木市が立つようになり、丁度入梅時で植木を移植するのに最好期にあたり、お富士様で買った木はよくつくと言い伝えられて、次第に盛んとなり、現在では5月・6月の最後の土日に柳通りを中心に約350店の植木屋で時ならぬジャングルを現出します。因みに平成7年の浅草警察署の調査では4日間の人出延べ33万人余と云われております。
戦災後見なくなった麦藁細工の蛇は、宝永年(約250年前)駒込の百姓喜八と云う人が夢告により、疫病よけ、水あたりよけの免符として広めてから、霊験あらたかと評判になり浅草でも売り出されるようになりました。古川柳「富士土産舌があったりなかったり」雑踏で麦細工の蛇についている赤塗りの附木で出来た舌を何処かへ落としてしまったと云う意味の句で参詣者の賑わいが分かります。又、社務所で治療しているお灸は、お富士様のお灸として有名であります。

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