出版物紹介

Vol.01「日本の扉 浅草」 創刊号

掲載内容

  • 代表的催事(12月~2月)
  • 浅草周辺マップ
  • 浅草エリアマップ(東西南北および中央部の5エリア)
  • コラム 「除夜詣と初詣」「年の瀬」
  • 浅草槐の会・マップリスト(会員店詳細)
  • 平成14年浅草歳時

コラム「除夜詣と初詣」

初代中村吉衛門の俳句で「女房も同じ氏子や除夜詣」(高浜虚子)などのように昭和中期くらいまでは、「除夜詣」ということばが残っておりました。古来、日本の文化はいわば「日の出、日の入り文化」で、一般には日の出を拝んでからのお詣りを「初詣」と考えられていました。除夜詣は近隣の氏子達が除夜の鐘を聞いて、とくべつ着飾るわけでもなく、いわば綿ぞっき(綿の衣服、普段着)を着て気軽に地元の氏神様にお詣りに行く事であり、それに対し初詣は蚕(おかいこ)ぞっき、いわば晴れ着を着て日の出を迎えてからお詣りに行くものと、ある意味で区別されていました。

しかし近年、車社会の発展や大晦日の夜の交通機関の利便性を含め、除夜の鐘を聞いてすこしでも早くお詣りしたいという考えからこの区別もなくなってきたようです。浅草寺では弁天山の除夜の鐘が鳴るまでは仲見世の通行を宝蔵門付近で一時止めて、鐘と同時に寺の開扉を行い、初詣の方々をお迎えするようにしています。また、この時から1月7日までの間の「開運厄除御守護」や5日の「牛玉加持会」(ごようかじえ)の日に限り、火防盗難除の「牛玉札」などこの時期限定のお札が授与されています。

コラム「年の瀬」

江戸の歳の市(その年最後の市)は浅草がもっとも古く、一説によると万治元年(1659年)に両国橋が初めて架けられた頃から行われていたと言われている。他の月の市とは違い、新しい歳を迎える正月用品が主となり、後に各地でいろいろな市が立つようになっても、江戸一番の大市の賑わいであったという。月日を経るうちに正月用品に羽子板が加わり、他の品々より華やかさが人々の目を引いて押絵羽子板は市の主要商品となり、いつしか市は「羽子板市」と言われるようになった、ものの本によれば、羽子板市は「人より始まって人に終わる」と言われるほどの賑わいであった。

暮れの17、18、19日は浅草観音様の境内に江戸の情景が展開される。通りから一段高く床を張った「にわか座敷き店」が軒を並べ、飾り立てた羽子板には舞台より一段といい男振りの役者衆の顔、顔、顔、、、。羽子板が今日のように一般に売られるようになる以前は、市が唯一の商いの場。つまり羽子板製作者にとって市は、1年間かけた自慢の腕の見せどころで、私どもの展示場。役者衆の舞台姿を写した羽子板は、1年の舞台の総決算であった。そして同時に、市の日を待ってひいき役者の羽子板を買い求めるのは、江戸っ子の大きな楽しみでもあったのである。

いつの時代からあった習わしか、女の子が生まれた明くる年の正月を「初正月」と言って羽子板を祝って迎え、その羽子板が長じてからはお嫁入り道具のお供をするという風習がある。両親、祖父母は品定めの大賑わいだが、当の赤ちゃんは「おまかせ」とばかりにお母さんの腕の中ですやすや、という光景が浅草の歳の市でも見かけられる。こうして選ばれた羽子板は、その家に親から子、そして孫へと50年、80年と伝えられていく。その伝統の重さこそ、作り手がもっとも心しなければならないことである。

文/西山鴻月

西山鴻月

墨田区登録無形文化財保持者
墨田区伝統工芸保存会会長}
2001年10月、東京都文化功労賞受賞

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