

平安時代の昔には、花といえば「牡丹」のことだったようですが、江戸時代には花といえば「桜」、パッと散る散り際のよさが武士階級に好まれたようです。当時、江戸で花見といえば、隅田堤・上野・飛鳥山などが名所として有名ですが、そのほとんどは八代将軍徳川吉宗の命によって造られたところです。これらの場所が全盛を極める以前の花見は、寺社などにある一本桜を愛でつつ武士や富裕な町人などの文化人が短冊に歌を詠むような、風流を楽しむお花見でした。
花を見て賞観することよりも花見の際の娯楽を楽しむようになったのは、享保年間(1716~1736)に八代将軍吉宗が今も残る花見の名所に植樹したのが始まりです。これによって「花より団子」の様相が高まり、「花見」という文化が大衆化してきました。人々は日中、花見衣装や仮装をして群遊し、お花見弁当と酒に舌鼓をうちつつ、歌舞音曲をたのしみました。そして花見客をあてこんだ多くの茶屋・屋台が賑わうようになりました。その様子は今日の花見と変わるところがありません。
浅草の花見所として有名な墨堤(ぼくてい)の桜は、隅田川をはさみ、台東・墨田の両区にまたがっています。植樹されてから300年近くたった現在も、墨堤を愛する多くの人々に保護され、桜の名所百選にも選ばれる完投を代表する桜の名所になっています。毎年3月下旬から4月上旬にソメイヨシノが一斉に咲きみだれる姿は壮観です。江戸時代の浅草では、「桜、柳に猪牙舟で」という花の時期の吉原通いの楽しみ方があったようです。今はそういうわけにはいきませんが、花見の盛況ぶりは相変わらずで、今でも屋形船に乗って船上から桜を眺めるといった楽しみ方が堪能できます。

3月18日は、推古天皇36年(628年)に浅草寺のご本尊・聖観世音菩薩が宮戸川(現隅田川)からご示現(しげん)された日で、いわば浅草の誕生日です。浅草寺でもこの人を記念し、大法要が行われ、特別に紅い掛け紙を蒔いた「紅札」が授与されています。また、境内では縁起に因んだ「金龍の舞」が氏子有志により奉演されます。
こうした浅草発祥の日に関連する行事として、一昨年から宮神輿本堂奉安(お堂上げお堂下げ)が行われるようになり、浅草の新たな見どころの一つとなっています。もともとこのお堂上げお堂下げは「浅草寺誌」の祭礼の式にも記録の残るもので、浅草神社(三社さま)に祀られた土師中知(はじのまつち)、檜前浜成(ひのくまのはまなり)・竹成(たけなり)の神霊が祀られた三体の本社神輿が、浅草寺のご本尊にお参りする行事です。浅草神社から出発した三体を浅草寺本堂に「お堂上げ」後、一晩本堂に安置し、翌日「お堂下げ」後、神社に還御されるというもので、古来観音祭りとも呼ばれた三社権現の祭礼(現在の三社祭)の始まりに行われた儀式でした。現在の三社祭は、陰暦から改暦後の明治5年から5月17・18日(現在は5月代日曜日と前日・前々日)に行われるようになりました。
この儀式中に、浅草寺一山式衆による読経と浅草神社宮司祝詞が同時に行われる様は、神仏分離以前の三社祭の一部を再現したものでもあります。本年(2002年)は3月30日にお堂上げ、31日にお堂下げが氏子衆の手によって挙行されることになっております。宮神輿は、お堂下げ後に宝蔵門近くにしばらくの間安置されますので、三社祭の時のお祭り仕様とは違った風情の三体の宮神輿を間近でご覧になることができます。
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