出版物紹介

Vol.03「日本の扉 浅草」

掲載内容

  • 代表的催事(6月~8月)
  • 浅草周辺マップ(隅田川花火大会の場所情報)
  • 浅草エリアマップ(東西南北および中央部の5エリア)
  • コラム「四万六千日/ほおずき市」「隅田川花火大会と川開き」
  • 浅草槐の会・マップリスト(会員店詳細)
  • 平成14年浅草歳時

コラム 四万六千日(しまんろくせんにち)/ほおずき市

7月9日・10日、浅草寺境内は涼しげな風鈴の音とほおずきの売り声の中、たくさんの参詣者で埋めつくされます。1年で最もご利益(功徳-くどく)の多い日といわれる四万六千日です。

古来、浅草寺のご縁日は毎月18日となっていますが、それとは別に中世以来「功徳日」と言われる日が加わりました。その日にお参りすると100日分、1000日分に相当するご利益が得られるというもので、この7月10日はその中でも最もお得(?)な四万六千日分といわれています。そして、この功徳日に大晦日のように前日から参詣者が押し寄せたことから、次第に9日、10日の両日が四万六千日のご縁日となりました。浅草寺ではこの両日に限り「黄札」と「雷除け」を授与しています。雷除けとしては、江戸時代には小豆色をした「赤とうもろこし」がこの日に売られていましたが、明治始めに不作の年があり、それ以降、竹串に刺された三角形の「雷除守護」が出されるようになりました。

一方、ほおずき市は200年近く昔の明和年間に始まった愛宕権現の「地蔵様」のご縁日を由来としますが、いつしか四万六千日の縁日に社前でこの実を鵜呑みにすれば大人は癪の根を切り、子供は虫封じに効がある」と言い伝えられています。

故・桂文楽が噺のなかで語る「四万六千日、お暑い盛りでございます」という言葉がありますが、このご縁日は浅草に夏の盛りを知らせる風物詩となっています。四万六千日/ほおずき市と7月末の隅田川花火大会は、浅草の町にもっとも浴衣姿が似合う日、皆さんもぜひ浴衣姿で400軒のよしず張りの「ほおずき屋」と300軒の売店の中をそぞろ歩き、浅草の夏を楽しんでみてはいかがですか。

コラム 隅田川花火大会と川開き

浅草だけでなく東都の夏の風物詩である隅田川花火大会は、享保年間に両国の川開きの際に打ち上げられた花火が起源といわれています、八代将軍吉宗が、前年に起こった大飢餓・疫病による死者の慰霊と悪病退散を祈って、享保18年(1773年)5月28日(旧暦)に隅田川において水神祭を挙行し、その際に両国橋畔の料理屋が公許を得て川施餓鬼を行って花火を打ち上げました。後年、5月28日から8月28日までの3ヶ月間は隅田川に涼み船を出すのを許可されたことから、この日を川開きとし恒例行事として花火が打ち上げられるようになりました。

花火大会の会場で耳にする「たまや~、かぎや~」の掛け声で知られる、玉屋、鍵屋は、江戸時代の花火の製造元で、文化7年(1810年)に鍵屋から暖簾わけした玉屋が登場し、上流を玉屋、下流を鍵屋が受け持ち、競演がはじまりました。この花火合戦に観客が賞賛を込めて、「たまや~、かぎや~」の掛け声をかけました。

技術が上だったのか、後発への判官びいきか、玉屋の方が人気が高かったようで、「橋の上、玉屋、玉屋の声ばかり、なぜに鍵屋といわぬ情けなし」と歌に詠まれたり、「玉やだと、またまたぬかすわと、鍵や云ひ」と川柳になったり、当時の浮世絵に描かれている花火船も玉屋ばかりだったようです。天保14年5月17日に玉屋方から出火して店は全焼、この罪から江戸お構いになり、わずあ32年間で玉屋の幕は閉じられてしまいましたが、玉屋、鍵屋によって盛り立てられた花火は、現在も隅田川花火大会の生き続けています。

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