出版物紹介

Vol.04「日本の扉 浅草」

掲載内容

  • 代表的催事(9月~11月)
  • 浅草周辺マップ
  • 浅草エリアマップ(東西南北および中央部の5エリア)
  • コラム「菊供養会・金龍の舞」「酉の市」
  • 浅草槐の会・マップリスト(会員店詳細)
  • 平成14年浅草歳時

コラム 菊供養会・金龍の舞

10月18日に浅草寺で行われる菊供養会は、明治30年に浅草寺の当時の貫主であった奥田貫昭大僧正の発願で営まれるようになったもので、観音経音誦のもとに終日随時菊供養の加持法楽を行う仏事です。この日には本堂前で金龍の舞も披露されます。当日は札所前で売られる菊花を本堂で献花すると、既に加持祈祷された下供菊と交換してくれます。これを家に持ち帰って乾燥させ、枕の中に入れておくと頭痛除け、延命長寿の霊験があるといわれています。

金龍の舞は、昭和33年10月本堂完成記念に際し、仏法守護の金鱗の龍が天から降り、御本尊を守護したという浅草観音承応縁起によって創始されたものです。浅草観音の正しい名称は金龍山浅草寺で、金龍山の山号は浅草観音承応縁起(承応3年)に由来しています。縁起には「18日、寺辺に一夜にして松千株ほど生ず、3日にを過ぎて天より長さ100寸ばかりの金鱗の龍、松のなかに下りしがその後あるところを見ずこれによって金龍山という」とあります。

浅草寺舞保存会発行の「浅草寺舞」しおりによれば、「金龍は長さ15メートル、重さ80キロ、これをいなせ半纏、はらがけ、もも引の江戸っ子姿の8名が操作し先頭に蓮華珠が1名、合計9名がひと組であります。お囃子は笛、三味線(浅草寺組合芸妓が台車に乗ります)、太鼓、鉦、妙八、チャッパ、宗盤、ササラで約30名の要員です。先頭の蓮華珠は観音様を表徴し、金龍はこの観音様の姿に欣喜雀躍して舞うので勇姿華麗な舞であります」と説明されています。

コラム 「酉の市」(11月1日、13日、25日)

もともとは農民が秋の収穫を祝い、感謝のしるしに神社に鶏を奉納した「とりまつり」が江戸時代に「酉祭」になり、祭に附随して市が立つようになって「酉の市」と呼ばれるようになりました。そして、神社から農家の実用品として授けられた熊手が「かっこむ」、「とりこむ」などの縁起と結び付いて、商売繁盛を願う催しに変化してきたといわれます。

「酉の市」で有名なのが、浅草・千束にある鷲(おおとり)神社ですが、神社の愛称である「おとりさま」がいつしか市の愛称にもなり、現在では「おとりさま」といえば鷲神社の「酉の市」を指すほどになっています。「酉の市」は、11月の酉の日に行われて、一の酉、二の酉と数えますが、昔から三の酉まである年は火事が多いという俗説があります。

当日、神社周辺には縁起ものの熊手を商う業者が200余り出店し、境内は華やかな熊手と人波で賑わいます。「熊手につけるものは大判・小判・福オカメ・七福神・鶴亀・松竹梅・大福帳・目出度いというところから魚の鯛、それから巾着、これは入ったお金が逃げないようキュット締めるので、金の鯱は家持ち城持ちになれるよう、、、」聞いているだけで福が舞い込みそうです。

また、熊手に値がつくや「ありがとうございます。それではお客さまの商売繁盛、家内安全、交通安全を祈願しまして、ヨーオ!シャシャシャン!シャシャシャン!シャシャシャン!シャン!」景気のいい手締めの音が境内一杯にあふれます。浅草に冬を告げるお酉さま、皆様もその活気と元気を味わいにいらっしゃいませんか。

季刊誌Vol.4のその他の記事はPDF(4.4MB)にてご覧になれます >>

 

ページトップへ戻る