名所旧跡

新奥山

新奥山

(しんおくやま)
新奥山
瓜生岩子銅像(うりういわこぞう)

幕末から明治にかけての社会実業家として知られると同時に、福島と東京をまたにかけて社会福祉にも貢献していた。瓜生岩子は、文政12年2月15日に現在の福島県喜多方市で生まれた。雑貨屋を営んでいた父が病気で死亡し、さらに火災で家を失くした岩子は、叔父の山内春瓏の元で社会事業を学ぶ。そして、17歳で呉服屋を営んでいた佐藤助茂と結婚し、一男三女をもうける。しかし、岩子が34歳の時に、夫が肺結核で死亡。その後、救護所、縫製所などを各地に作り、本格的に社会・慈善事業に取り組み、「仏の岩子」と多くの人から慕われていた。

新奥山
一葉観音像(石造)

文政9年(1826)花隠道人司直が上屋田寉子女の貞節を賞して建碑。

新奥山
高橋石斎の碑

尾張藩の剣道指南役で書もよくし、明治5年没。遺族の願いにより建立。熊谷武五郎氏の撰文。

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滝沢世古の碑

伊予国出身。書家として名高く、天保5年(1834)没。弘化2年(1845)門人これを建つ。

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福地桜痴居士紀功の碑

文久2年(1862)幕府の使節に従い英仏二国に赴き、明治になって再度渡欧、東京日々新聞社長、小説や演劇の功績顕著。明治39年没。題字は山県有朋の筆。

新奥山
浅草観光纉緒の碑

浅草繁栄に尽くした人を讃え、観光連盟発足20周年を記念して昭和43年建立。

新奥山
石井漠記念碑

我が国創作バレエの第一人者を記念して、昭和38年建立。碑面の「山に登る」は代表作名。谷崎潤一郎題字で刻まれている。

新奥山
映画弁士塚

無声映画時代の往年の名弁士たちを記念して昭和33年建立。碑名は鳩山一郎書。

新奥山
曽我廼家五九郎顕彰碑

円形の上部には五九郎の好きだった「群盲撫象」の文字と「ノンキな父さん」の像を描く。昭和38年建立。題字は大野伴睦筆。

新奥山
永生の壁

世界平和を祈願して昭和40年建立。碑名は郭沫若氏から寄せられた文字。

半七塚の碑

捕り物小説の生みの親、岡本綺堂を記念して、捕り物作家クラブ同人が昭和24年に建立。

新奥山
戸田茂睡の寿碑(都旧跡)とだもすいじゅひ

五輪塔をかたどった逆修碑が戸田茂睡寿碑。1705年建立。当初は牛込万昌院にあったが、佐佐木信綱らにより1917年に浅草寺奥山庭園に移された。茂睡は江戸時代初期の歌人で通称を八兵衛といい、梨本庵または寒露軒と号した。1629年、徳川氏の家臣渡辺忠の子として誕生して1706年死去するまでに歌論「梨本集」五巻や江戸の地誌を書いた「紫の一本」など、多くの著書を残す。一時は叔父戸田藤右衛門に養われ、のち木田忠国に仕えて300万石を給されたこともあったが、1671年に浅草手向野へと移り住んで草庵を結んだ。「塵の世と思う心の積もりては身の隠れかの山となりける」とよみ、隠れ家の茂睡と時の人々に呼ばれていた。

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「力石」熊遊の碑

熊治郎がさした百貫ほどの力石。明治7年(1874)新門辰五郎が建てた。

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算子塚の碑(さんしづか)

算学者会田算左衛門の碑。文化14年(1817)71歳没。日常使用していた「そろばん」が門下生によって埋められた。江戸時代の和算学者、会田安明の功績をたたえた「算子塚」の碑は、文政2年に儒学者の亀田鵬斎や門人によって立てられた。会田安明は、少年時代から和算に興味を持つようになり、土地の学者である岡崎安之について学んでいた。日本古来の和算は、江戸時代になると研究が盛んになり、23歳で江戸に渡った安明も、幕府の役人をしながら算学の研究に励んでいた。多くの学者達が、独自の円周率の計算方法などをあみだしていくなか、安明は算法に手を加えるなどして、難解だった算出法の簡易化をはかった。「天元演段」などの名著も残している。

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三十六歌人の碑

桜の花を詠んだ三十六首を刻む。大亀の背に据えられた碑。文化14年(1817)の建立。

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五瀬・植松氏明数の碑

算学者関孝和に師事し、算数家として高名。上総国出身。はじめ五瀬氏、のち植松氏を継ぐ。安政5年(1858)の建立。

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三匠の句碑

「ながむとて花にもいたし頸農骨」宗因・「花の雲鐘は上野か浅草か」芭蕉・「ゆく水やなににとどまる乃里の味」其角、三人の佳吟が刻まれている。文化6年(1809)建立。江戸時代前期を代表する俳人、三匠の句が刻まれてあるこの碑は、文化6年に建立されたものである。西山宗因は慶長10年肥後に生まれ、八代瀋士だったが、瀋がつぶれてから京都に出たのちに大坂に移り、自由でこっけいみの溢れた談林風と呼ばれる新しい俳諧をうちたてた。松尾芭蕉は、天保元年に伊賀に生まれ、藤堂良忠につかえていた。良忠の死後、京都にのぼり諧俳を学び、のちに江戸に出て深川に芭蕉庵を建てて住み、芭蕉風をうちたてた。榎本其角は、寛大元年に江戸に生まれ、芭蕉の弟子の内でも十哲と呼ばれるほど優れていた。

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正岡子規句碑(まさおかしき)

「観音で雨に逢いけり花盛」の句が彫られている。平成11年5月28日、正岡子規没後百年事業の一環として台東区俳句人連盟により建立。

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